これは日記です

だらだらと話すように書きます

かけたマグカップ

ぼくの名字に動物がはいっている。小学校のころのあだ名にもなったから、思い入れもある。世間的にはふさふさしていて可愛いと評される動物である。

 

可愛いとは思う。世間話に「飼ってみたら?」なんて言われる。生きているギャグだ。

 

贈り物で小物をもらうこともある。部屋がなかなかちぐはぐに可愛らしいと言われる。不自然さは好ましいのでなかなか嬉しい。

 

他人から贈られたもので彩られていくのは、植物を育てているような楽しさがある。自分の思い通りにはいかないものが楽しい。

 

モテキでナツキさんが言っていた、曲がる予定のなかった角だ。なんでも叶えてきた訳ではないけれど、予想外の出来事はおもしろい、それが割と不幸でも。これは温室育ちのなせる技だろう。

 

最優秀作品賞がムーンライトだったとき、ライアンゴズリングが笑っていて。こうやって楽しんでいきたいと思った。このようなある程度の客観性は保っていきたい。

 

しかし、みんなが悲しんでいるときに笑ってしまうのは、今後仕事に支障をきたしそうだ。コミュニケーション講座で「どの筋肉を動かせばどのような表情を作れるのか、鏡を見て把握しましょう」と言われて、納得した。表情は感情を伝えるツールなのだ。悲しい表情を反射で出せるようにならなければ。aikoは夢見がちではない、実践的な人だ。

 

姉は思い通りにいかないとすねる人だ。感情が非常に素直な人で、面倒だ。人生が大変に思える。彼女からはひねくれていると言われる。その通りだと思う。そこで否定しないから怒られる、面倒だ。

 

ぼくが他人からもらったものをやたらめったら使うのも良い顔をしない。干渉されたいという意思は流されているだけにみえるようだ。

 

マグカップは自分で選んだもので、かけても使っている。今度帰省したら研磨機で滑らかにして使う。