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これは日記です

だらだらと話すように書きます

かけたマグカップ

ぼくの名字に動物がはいっている。小学校のころのあだ名にもなったから、思い入れもある。世間的にはふさふさしていて可愛いと評される動物である。

 

可愛いとは思う。世間話に「飼ってみたら?」なんて言われる。生きているギャグだ。

 

贈り物で小物をもらうこともある。部屋がなかなかちぐはぐに可愛らしいと言われる。不自然さは好ましいのでなかなか嬉しい。

 

他人から贈られたもので彩られていくのは、植物を育てているような楽しさがある。自分の思い通りにはいかないものが楽しい。

 

モテキでナツキさんが言っていた、曲がる予定のなかった角だ。なんでも叶えてきた訳ではないけれど、予想外の出来事はおもしろい、それが割と不幸でも。これは温室育ちのなせる技だろう。

 

最優秀作品賞がムーンライトだったとき、ライアンゴズリングが笑っていて。こうやって楽しんでいきたいと思った。このようなある程度の客観性は保っていきたい。

 

しかし、みんなが悲しんでいるときに笑ってしまうのは、今後仕事に支障をきたしそうだ。コミュニケーション講座で「どの筋肉を動かせばどのような表情を作れるのか、鏡を見て把握しましょう」と言われて、納得した。表情は感情を伝えるツールなのだ。悲しい表情を反射で出せるようにならなければ。aikoは夢見がちではない、実践的な人だ。

 

姉は思い通りにいかないとすねる人だ。感情が非常に素直な人で、面倒だ。人生が大変に思える。彼女からはひねくれていると言われる。その通りだと思う。そこで否定しないから怒られる、面倒だ。

 

ぼくが他人からもらったものをやたらめったら使うのも良い顔をしない。干渉されたいという意思は流されているだけにみえるようだ。

 

マグカップは自分で選んだもので、かけても使っている。今度帰省したら研磨機で滑らかにして使う。

 

 

四月生まれの友達

新しい友達の誕生日を祝った。研修で急速に仲が良くなった同僚である。幾人かで食事をしてプレゼントを渡した。

 

「大抵、誕生日を聞かれたときには過ぎていて、お誕生日会なんて久しぶりだ」なんて言って微笑んでいた。

 

食べ放題レストランで限界まで食べ放題できるのも、あとどれくらいだろうか。炭水化物が並んでいた。美味しいよりも楽しい印象が強い、不思議だ。

 

来月にはそれぞれ配属だ。率直に寂しい、ので同僚達にそう言ったら、率直過ぎて冗談だと思ったようで、笑われた。

 

 

10%割引パン

帰宅ついでにスーパーに寄り、明日の昼ごはんを買う。

 

昼休憩になると、周りはコンビニに飛び立ってゆく。弁当を詰めて持ってくる同僚Tと10%割引の賞味期限のあやしい5個入りレーズンパン袋の僕が残る。対比のようだが、しゃべると馬が合う。

 

言葉を発するペースが似ているのだ。歩くペースを合わせるように、しゃべるペースを合わせるタイプだ。

そのうち愉快で騒がしい同僚たちが帰ってくる。高速道路に乗るように会話のテンポにスピードをつける、会話を操っているようで楽しい。

 

Tは関西弁を話すのだけれど、二人でしゃべるときは京都の女将で、みんなでしゃべるときは吉本新喜劇を思い出す。

 

そろそろ引越しの準備だ。

電車通勤の感想

研修所に通うために都心への電車に乗る。覚悟していたほどひどくはない。

覚悟ってのは、ぎゅうぎゅうつめつめガラス窓に顔を押し付けバンザイをして鞄はいずこ。というようなステレオタイプだ。そのおかげで平常心だからステレオタイプも悪くない。

 

電車通勤の中学生がいることに驚く。目の前に、並んで座る二人組がいた。音楽の教科書を一冊、お互いの太ももではさみ、「しってる」「この曲はあのアイドルがテレビで歌ってた」「これくらいなら弾ける」耳に入る。すごいな、ピアノだよな。時代なのか田舎なのか、ぼくの中学校にはピアノが弾ける男子なんていなかった。

思わず、彼の長くて白い指を見下ろすと、つり革に反発する太い指の感覚がした。

 

週の折り返し。幼馴染にピアノを再開したか聞くのもいいかもしれない。

 

 

 

海に出た

近所の川が海に続いている。どこの川でも海に続いているんだけど、歩いて確認できる距離にあるなんて不思議だ。

 

ぼんやり散歩していて、あの犬は実家の犬と同じ犬種だ、TVCMみたいなランニングの格好だ、あれはスカイツリーかなあ、こんな立派なバイクが捨てられている、川が浅い、川面が黒い、なんだか周りの建物が工場になってきたな、と思ったら海だった。

 

幼馴染達のライングループにやたらめったら写真を載せる。いつも反応が薄いのに、今日はやたら、すごい!とか都会だ!なんてコメントをくれる。優しいね。

けれど、みんなと登ったスカイツリーの写真にはコメントがなくて、でもなんか言われたら卒業旅行を思い出して寂しくなるので、僕のそういうとこもわかってくれているのが優しくて嬉しくて寂しくなった。

 

帰りにコンビニスイーツを買って回復した。

 

 

 

ひと駅歩いた

通勤に1時間以上かかるので練習で早起きした。そんなぐらい当たり前だもっとかかるぞ、なんていう友達は本当に尊敬する。

 

二度寝をしようとしたら、腕時計の秒針の音が聞こえて、なんだか叱られている気分になったのでやめた。ちょっと寝たいってとき、横向きになり腕を曲げ手を顔の横に置き体を丸めるからだ。

 

部屋で勉強ができないので、近所の図書館に行く。図書館といっても公民館に併設されている小さなもので、だけど人はひっきりなしだったから、やっぱりうちの田舎とは違う。

いくつかの学習机は小学生で埋まっていて、小さく鋭い声で話しながら調べ物をしていた。気になるほどではなく、使われている空間は好ましいので、本棚の側面に置かれている椅子に座って会社から配られた本を読んだ。

小学生達の方がよっぽど考えている。

 

外に出ると喫煙スペースに同期がいた。寮の案内のときには「吸いません」と答えてたよな、と思い出しているような僕の顔を見て、「肩身が狭い」と苦笑していた。彼の出身地のイントネーションだった。

 

夜はこっちで働いている知り合いと飲んで、今日は二度寝でした。

 

Wシリーズ等の感想

森博嗣のWシリーズを読んでいるので奔放に思ったことを書きます。

内容にも触れるかもしれないです。

 

まず、森先生との出会いは母の本棚だった。兄が読んでいたので背伸びして読み始めた。Vシリーズが刊行されているころで、S&Mシリーズを一気に読んだ。

ハリーポッター夢水清志郎に夢中だったから、まったくほんとうに新しい文体で、国語の授業では習わない文章の書き方を知った。当時は”理系ミステリ”と銘打たれていたので、幼心に”理系”へのあこがれを持った。真賀田四季かっこいい、天才かっこいい、みたいな思春期への第一歩でしたね。

 

森先生は刊行数も多いのでミステリ以外はあまり追えていないんだけど、タイガ始まるわくわく!と表紙が好み!で読むことにした。

 

Wシリーズの近未来は、突拍子もないところがなくて今まで読んだどのSFよりも地続きの未来に思えた。やっぱどっか科学の発達に人の感情が追いつけないって思ってる。ウォーカロンと人間を判別する研究、そうゆう職種が、未来と今の中間に舞台を与えてる。虐殺器官ぐらいないと未来の倫理観ってのは身につかないんじゃないかな。

 

ウグイがウォーカロンではなくて嬉しいと感じたのは古い価値観だって思う。けれどシリーズを読んでいて感じるのは、人間とウォーカロンに違いはない。夢と現実に違いはなくて、現実だって認識する主体が多いほど強度が増すだけだって思っている。(デミアンチャゼル監督も同じような事を言ってた、ような、気がする、これはララランドをそう考察したいって希望が入ってるけど)

 

ここまで書いておいて、実は「私たちは生きているか?」を読んでいる途中なんだ。答え合わせをしたい。